以前兵庫在住の頃、会社のNPOである、小学生育成財団で、7年ほど、地域の小学生に、硬式テニスのコーチのボランティアをしていました。
やんちゃな子も多く、指示を聞かずにおしゃべりしたり、教えてもなかなかコツを覚えず、1年経ってもあまり上達しない子もおりました。
それでも、コーチとしては、1年の在籍期間後には、楽しくラリーできるようにしたいという目標があったので、すぐに忘れてしまう子には、うまく行くまで繰り返し何度も教えました。
指導とは
・やらせてみる
・腑に落ちて理解させる
・自分で出来るようにする
・人に教えられるようにする
の段階を踏んで、学びが深まっていくのですね。
そして最終的には、指導した子が、将来指導者となって、他の指導者を育てられるようにするまで、アドバイスする必要があるのですが、私が関東に戻ってしまったので、それも叶いませんね。
2017年10月から、コンサルタントとして、経営者にアドバイスをするようになり、コーチの頃の経験が活かせています。
つまり、進捗や理解は人それぞれなので、決して一律には指導できませんね。
人によっては、スケジュールを立てることだけで、何日も必要な場合もあります。ここで、じっくりと待てるのも、気を見て促すのも、指導者としては必要となります。
P・Fドラッカーの学びに対する考え
P・Fドラッカーは、
「学習する本人が学ぶことで、教師によってされるものではないと言い、さらに、教師は学習の助けとなるだけで、学習の邪魔になることすらあると、著書、「断絶の時代」の中で述べています。
職能工として、単に時給いくらで労働力を売るのではなく、学んで得た知識を、頭脳労働として売ることが必要なのですね。
このことに、いち早く気づいたドラッカーは、知識の基本となる、学習する姿勢が、ことさら重要だと考えていました。
そのため、マネジメントに関する最初の著書である、現代の経営では、成長も学習も本人の努力の結果なので、自分から努力しない人々の進歩については、企業が責任を感じることはないと述べています。
人的資源は外部から影響を与えられないという考えで、人間の発展や能力開発である成長は、内側つまり本人の自覚から行われるものと断定しております。
そのため、人間の行う仕事は、各個人の成長を促し、また支援するものでなければならないと主張しています。
必要な様々な仕事がありますので、必ずしもそうとは言い切れませんが、意図する事は理解できます。
しかし、私が以前働いたブラック系企業では、勤務時間外に業務の習得をするよう強要されたので、それは違うと違和感を持っていました。
業務関連知識として汎用的なものは、自発的にプライベートな時間で学ぶのは構いませんが、業務に直結する内容は、勤務時間中に研修等でするべきだと思うのは、ドラッカー流では良くない考えなのでしょうか?
ドイツ語で書かれた著書、明日のための思想の中で述べられている、「自分の仕事のほかに何も知らない人は、会社という立場からみても、決して成績のよい人間と言えぬ」では、趣味や、業務以外の知識も蓄えて、人間の幅を広げることを説いているように思います。
以上のドラッカーの言葉から、学習には以下が必要と解りました。
・学習するためには、当人の自覚と努力が必要
・目標がないと、個人的にも職能的にも、成長できない
・狭い己の中に閉じ込もっていないこと
子育てに例えると
ドラッカーのように、あくまでも知識資産を創ろうとは望まなくても、少なくても自分の子供には、雇われなくても、自立して生活できるように、なってもらいたいと思っています。
しかし、個人的な資質なのか、言われたことをすぐに忘れてしまうので、解かるまで何度でもアドバイスして、根気強く指導しなければと、春休み中の生活習慣を見て強く感じました。
ちなみに、子供にいつも言っている事は
・開けたら閉める
・呼ばれたらすぐ来る
・時間を守る
・片づける
・早寝早起きする
・予定を立て、予定を守る
などですが、なかなか守れないので、根気よく何度でも言って、アドバイスをしていこうと思っています。
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